日本ラグビー界のレジェンド「壊し屋」の異名で知られた林敏之氏(同志社ー神戸製鋼)が第10回日本スポーツ学会大賞をラグビー界では初の受賞。11/27渋谷区白寿ホールで受賞されました。12/6千代田区学士会館にて受賞パーティが催されフライキプロジェクトとして参加させて頂きました。多方面多数の参加により林氏の交友の広さに驚かされました。お祝いスピーチの急なご指名を受け大変緊張の中お祝いをさせて頂きました。
これからもHEROESが盛会で沢山の日本代表が巣立ってくれることをお祈りいたしております。
https://www.nikkansports.com/sports/news/201911250000362.html
10/25。活動の集大成である『110旗のフライキで釜石鵜住居復興スタジアムのスタンドを埋め尽くす』計画は台風19号の強く激しいタックルの前に負えなく敗れました。
2011年3月11日の東日本大震災の後直ぐに、被災地を訪ねました。最終目的地の釜石へ着き、何となく思い出の場所へと向いました。
防災支援ヘリコプターの臨時発着場になっていた松倉グランド(新日鉄釜石G 現釜石シーウェイブスホームG)に立ち寄った時、現役時代~実業団監督時代に新日鉄釜石に戦い挑むもいつも強い厚い壁に阻まれていた苦い苦い記憶を想い出していました。そしてそのスタンドでは沢山の大漁旗が振られていたのも記憶として残っていました。
その大っ嫌いな『大漁旗』を使って活動を始める事になるとは、その時は考えもしませんでした。
自宅かえりパソコンで何気なく「大漁旗」を検索すると「フライキ」と言う聞きなれない文字がHITしました。
翌月2011年5月から応援活動が始まりました。
先輩、後輩を頼って全国のラグビー祭やイベント会場に出向き、想いを語り賛同金を集め、集まった賛同金で1旗づつフライキを作り東北のラグビーチームに贈り届けました。
活動を始めて数年後、RWCの会場に釜石市鵜住居が選ばれた事で終着点(目標)がハッキリ決まりました。
恒常的に予算が無いたった一人の活動が続きました。それでも歩みを止めずに8年間も続けてこれたのは、沢山の方々の賛同や沢山の励ましのメッセージを頂けたからかもしれません。
RWC開催1年前の2018年8月19日の鵜住居復興スタジアムオープニングイベント。(釜石シーウェイブスvsヤマハジュビロ)
大会直前の2019年7月27日パシフィックネーションズカップ(日本代表vsフィジー)
そしてRWCの予選リーグ9月25日(フィジーvsウルグアイ)で振ることが出来ました。
残念ながら予選リーグ2戦目。10月13日(カナダvsナミビア)戦は台風の影響で中止となり叶いませんでしたが、形を変えて100旗のフライキを振ることが出来ました。(鵜住居駅~スタンドまで行進。キックオフの0:15に100旗振りました)
そして嬉しいことにカナダvsナミビア戦をもう一度、鵜住居復興スタジアムで開催しようとする動きが始まっております(未定)
フライキプロジェクトのラグビー東北復興支援活動はこれで終わります。
今後はまた新たな活動を始める予定です。(計画中)
《大漁旗=フライキ》
「富」が「来」る「旗」と書いて「ふ」「らい」「き」
「フライキ」は船上の漁師が陸で待つ家族に「大漁・豊漁」を早く知らせるための手段として始まりました。
「フライキ」は新しい船を出すお祝いとして寄贈されます。1つとして同じ柄は無く、厚い布地に丁寧に柄が染められて仕上げます。
フライキプロジェクトの「フライキ」は正式には「応援フライキ」です。生地もナイロン地で転写加工で軽く振りやすい旗です。だから子供でもお年寄りでも簡単に振ることができます。
これからも、沢山の方々が笑顔になって貰えるようなきれいな柄の「フライキ」を沢山作り応援していきたいと思います。
8年間のご支援本当にありがとうございました。
https://news.yahoo.co.jp/byline/taramasataka/20191108-00149893/
フライキプロジェクト8年間の活動の終着点としたRWC鵜住居復興スタジアムでの第2戦。カナダvsナミビア戦。2日前の11日に釜石に入り準備を始めました。今回はフィジーvsウルグアイ戦で振ったフライキの倍以上の数が集まりました。前回回収できていなかったチームにすべて連絡取りつけました。「スクラム釜石」さんからも11旗のフライキをレンタル。更に地元釜石の漁師、福徳丸の藤原さんから本物のフライキを20旗お借りすることが出来ました。全て合わせると130旗ほど。フライキプロジェクトの大団円としては申し分のない数です。
が、しかし大型で非常に強い台風19号(ハギビス)が日本に接近しつつありました。既に三陸鉄道とJRは13日の終日運休を発表。かなりの緊張が走る中スタジアムスタッフの方々が開催を信じて仕事を続けておりました。
13日早朝6時前に「試合中止」にのニュースリリース発表。酒の残った頭を更に鈍器で殴られる衝撃。しばらく放心状態。
落ち込んでいても仕方がない。『であれば、せめてキックオフの時刻にスタンドでフライキを振らせて貰おう。』と考え組織委員会に想いを伝えました。
10時にスタジアムで被害状況を確認し、組織委員会本部の許可が出ればOKとの事。「よしっ!」幸い数社のメディアも開催中止の映像を撮りにスタンドに集まっている。『形は変われど想いは伝えよう』そう決意し入場許可を待ちました。
フライキを振ってくれる予定釜石高校の生徒(20名)は避難指示が出ているため参加できず。仙台高専宮城ラグビー部(40名)と宮古工業高校ラグビー部(19名)は三陸道通行止めの為、釜石にたどり着けず。
不安な中空を見上げると、台風一過の青空が広がって来ていました。
午前11時前、RWC組織委員会から『全ての安全が確保できないためスタンドへ入場の許可は出せない』との連絡。
酒が抜けかかった頭を更に衝撃が・・・終わった。こんな終末?
そんな状況でふと、快進撃を続ける日本代表を思いました。彼らの決して諦めない姿勢と必ず勝利するという強い信念。このくらいの壁は壁ではない。やれることをやろう。
キックオフの12:15までは約1時間弱
市内のファンゾーンも閉鎖となり、何となくスタジアムの周辺に集まった観戦難民に『今からフライキを振るから鵜住居駅に集まってください!』と叫びました。車にフライキ100旗を放り込み駅へ。
口コミ、SNSなどで徐々に人が集まり始めました。
12:00にはかなりの人が集まって100旗のフライキはあっという間なくなりました。
お昼のサイレンを合図に前代未聞フライキの行進が始まりました。
真っ青な空、白い雲。台風後の強めの風はフライキを靡かせるには十分すぎる演出でした。さっきまで試合が見れずに不満そうな顔で集まった人々のフライキを振る顔は皆満面の笑顔になってました。
スタジアム正面入り口には100旗を超えるフライキは一斉に靡いてます。
時計を見るとちょうど12:15。
持参した法螺貝を合図にキックオフ。自然発生的に「釜石万歳」の声が・・・・
試合では振れずに終わったイベントでしたが、結果オーライ。感動のイベントで幕を閉じることが出来ました。
その後駐車場まで移動。フライキを回収して解散しましたが。フライキをポールから外し、たたむ作業まで皆さんが手伝ってくれました。
今回のゲリラ的なイベントが沢山の方の力を借りて成功できた事を心から感謝申し上げます。本当にありがとうございました。
東北にエールを送り続けた元LO。フライキプロジェクト代表・園部浩誉さん。
釜石の観客席をフライキが彩った。
フィジー代表とウルグアイ代表が対戦した、9月25日の岩手・釜石鵜住居復興スタジアム。
観客席の最上段では、試合前から60旗のフライキが振られ、釜石ラグビーの、日本ラグビーの記念日を盛り上げた。
「富来旗」「福来旗」とも書くフライキは、東北の南三陸における大漁旗の通称だ。
南三陸の文化でもあるフライキで、釜石開催のワールドカップ会場を埋め尽くそう——。
ワールドカップ釜石初開催となった9月25日は、そんな夢を描いた『フライキプロジェクト』のメンバー、協力者、賛同者の夢が実現した日でもあった。
プロジェクトの発起人は2011年8月、たった一人で活動を始めた。
東京・本郷高から法大、明治生命(現明治安田生命)でプレーした園部浩誉さんだ。
U19日本代表経験を持つLOで、明治生命では1999年から2年間監督も務めた。
「阪神淡路大震災の時、神戸製鋼の仲間や、被災した方々のために何かやろうと思ったのですが、その時は新入社員で時間もなくて・・・。それですごく後悔が残ってしまって、次に何かあった時は絶対に後悔しないように、思っていました」(園部さん)
2011年に東日本大震災が発生すると、園部さんはすぐに仙台へ向かった。
仙台は4年半勤務した土地であり、仙台育英ラグビー部の丹野博太監督は同期。
現状を目の当たりにした園部さんは、大漁旗を贈って勇気づけようと一念発起した。
「東北のラグビーといえば新日鐵釜石、大漁旗のイメージがありました。東北を回ってから家に帰って調べると“富が来る旗”——フライキ(富来旗)という言葉を見つけ、大漁旗で勇気づけられないかと考えました」
持ち前の行動力で製作資金を募り、まずは仙台育英にフライキ第1号を贈った。カラフルで勇壮なデザインは釜石在住のデザイナー・三浦正文氏によるものだ。
「もともと大漁旗は振るものではなく、漁船につけて陸の人に大漁を知らせるためのもの。僕たちが贈っている旗は、正確にいうと富来旗ではなく『応援フライキ』です」
この応援フライキが好評だったことから、2011年8月、東北のラグビーチームに旗を贈り届ける『フライキプロジェクト』を立ち上げた。ワールドカップの釜石開催の決定後は、本格的に観客席でフライキを振るプロジェクトを推進してきた。
2019年10月までの8年間で、フライキを贈った東北のラグビーチームは約90に上る。
ただ製作したフライキはもう少し多い。
「東北のラグビーチーム以外にも、大きな手術をしたり、怪我をした仲間にも贈ってきました。大阪府警の古瀬巡査にも、ジャパンのサインを全部入れてもらい、贈らせてもらいました。そういったものを含めると100旗くらいだと思います」
今年6月に大阪府で発生した拳銃強奪事件で重傷を負った、大阪府警の古瀬鈴之佑巡査。佐賀工、東海大でプレーした元ラガーマンへ、伝手を頼って日本代表選手の“サイン入りフライキ”を届けた。
応援フライキの製作費は1旗3万円。クラウドファンディングでの資金提供や寄付金も募ってきたが、園部さんの財布から出ていった額も大きい。
そこまでして人を応援する理由を尋ねると、園部さんは「『ワン・フォワ・オール、オール・フォワ・ワン』です」と言った。それから「ちょっと出来すぎですかね(笑)」とおどけた。
園部さんの目下の集大成は10月13日だ。
釜石では今大会最後の試合となるナミビア代表×カナダ代表が、釜石鵜住居復興スタジアムで行われる。
この日は前回よりも40旗も多い、100旗のフライキを振る予定。釜石の観客席が、園部さんと仲間たち、多くのプロジェクト賛同者と協力者からのエールで埋め尽くされる。
真っ青な秋空、射すような日差しの中いよいよこの日を迎えることが出来ました。朝8時にはスタジアム入りすると、顔なじみの仲間に会います。握手をすると交わす言葉はみんな同じでした。 『やっとここまできたな!』
フライキチーム宝来館チーム合同で9:00から三陸鉄道、鵜住居駅で観戦に来られたお客様をフライキでお出迎えしました。
そして入場ゲートオープン後はスタンドでフライキでお出迎え。ゲーム前のホストシティパフォーマンスでは地元釜石の虎舞や宮古のあばれ太鼓などが披露される中スタンド最上階でフライキを地元の中学生に振ってもらいました。釜石中、甲子中、大平中、釜石東中の50名の生徒が協力してくれました。選手入場のセレモニーではスタンド最上段で60旗フライキが振られる中、フィジー・ウルグアイ両国の選手が入場する釜石ならではの素晴らしい感動的なシーンでした。
観客数は14,000人超のほぼ満員。8年前からスタートしたフライキプロジェクトの願いがかなった『奇跡の瞬間』でした。
奇跡はそれだけではありませんでした。世界ランキング19位のウルグアイが10位のフィジーを破る大番狂わせとなりスタンドは大いに盛り上がりました。
NO SIDE後も鵜住居駅の前でフライキを振りお客様を見送りました。
ご協力頂いたフライキチーム、宝来館チームのみなさま。そして地元釜石の中学生と引率の先生方、本当にありがとうございました。あともう一試合。フライキでおもてなしをしたいと思います。
あと3日でいよいよワールドカップが始まります。
そして9/25には釜石復興スタジアムで予選1回戦が始まります。8年間活動が続けて来れたのも活動を受け入れてくれた東北のチームの皆さま方。そして活動に賛同して寄付をして頂いた全国の賛同者の皆さま方。本当に感謝感謝です。
また、沢山のメディアが活動を取り上げて下さいました。
本日も日テレのnews everyが活動を紹介してくれました。ありがとうございます。
第1回から参加させて頂いているスクラム釜石主催のイベント、第8回ともだちカップに今年も参加してきました。
昨年までの宮城県船岡自衛隊の会場から岩手県釜石の鵜住居復興スタジアムに変わりました。日本初ハイブリッド天然芝が秋空に映えて最高のコンデションでスタートしました。
参加チームは
青森県:青森少年RS、八戸少年RS、十和田RS、弘前サクラオーバルスクール
秋田県:高清水RS少年団、脇本おいばなRS
岩手県:盛岡RS
山形県:山形RS
宮城県:佐沼プラタナスJr、古川RS、鹿折RS
福島県:いわきRS、郡山少年RS、勿来少年RS、福島市少年RSです。
ワールドカップのために預かっていたフライキを2日間返還させていただきました。
ワールドカップの会場であるスタジアムで2日間元気に走り、蹴り、タックルしてくれました。
試合の後は宿泊先である陸中海岸青少年の家に移動。夕食を済ませた後は体育館で体験活動。チームがシャッフルされて他府県のチームと交流出来ました。
今回の優勝チームは秋田県高清水RS少年団。2位も秋田県脇本おいばなRSでした。
試合の後には悔し涙、嬉し涙。悲喜こもごも。とても感動的な大会となりました。
閉会式後の後かたずけを済ませてスタンドを後にしました。
来月9/25は、いよいよRWC本番。この鵜住居復興スタジアムに来る全世界のラグビーファンにフライキがスタンドではためく姿を届けてきたいと思います。
6/16に起きた吹田拳銃強奪事件の重傷被害にあった古瀬巡査(佐賀工業ー東海大)へ応援フライキでエールを届ける企画。最後はやはり日本代表からサインを頂くことにしました。7/27のPNCフィジー戦に向けた調整合宿中のチームに総務の大村君を介して無事サインを頂きました。また、PNCフィジー戦前のイベントでご一緒したスクラムユニゾンの廣瀬俊朗さん村田匠さんからもメッセージを頂きました。100名ほどのメッセージの詰まったフライキを試合前にピッチで振り、想いのたくさん詰まったフライキを古瀬君に届けたいと思います。
アパコレとは、岩手県宮古市出身のファッションデザイナー畠山巧氏が2011年以降東北の復興を目的としたファッションショーです。大漁旗の生地で作った服やドレスを地元の漁師、市の職員、三陸鉄道職員、小中高生など総勢100名以上がランウェイを歩きました。私と宮古出身の先輩は大漁旗柄のラグビージャージを着てフライキを掲げてランウェイを闊歩しました。50過ぎてからのモデルデビューもなかなか「オツ(乙)」なものでした。(笑)
いよいよワールドカップ目前。前哨戦でもあるPNC。フライキプロジェクトとしても鵜住居でフライキを振ることが出来るまさに前哨戦。10旗のみでしたが選手入場と国歌斉唱でフライキを振ることが出来ました。ワールドカップの鵜住居復興スタジアムでの2試合(9/25フィジーVSウルグアイ 10/13カナダVSナミビア)ではもっと沢山のフライキがスタンドを埋め尽せるよう組織委員会と打ち合わせていきたいと思います。旗手をして頂きました皆さんをはじめ、試合運営にご尽力いただいた沢山のスタッフの皆さん本当にお疲れ様でした。何より日本代表の快勝が一番良かった。日本一熱く、暑い1日でした。
Three Cheers for Everyone!
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190727-00000029-spnannex-spo
日本ラグビー協会とコラボしたプロジェクトでした。フライキデザインを提供。13,000人の観客がトライのたびに一斉に振られていました。選手たちを後押しできたと思います!
※以下はネット上に記載されたプロジェクトの記事です。
<釜石限定>フライキプロジェクトとコラボの応援フラッグをプレゼント!
試合を記念してご来場者の皆様と一緒にスタンドを赤く染めるため、日本代表カラーをベースにフライキ(富来旗)をモチーフにした釜石限定デザインの応援フラッグを先着15,000名様に配布致します。フラッグを広げて、日本代表を応援しよう!
配布場所: 入場ゲート
開始時間: 12:05(開場)~
※無くなり次第、終了
<フライキプロジェクト コラボ応援フラッグ>
今年で3年目になる台東区主催のパレードに参加。ラグビーの楽しさを広めるためのイベントを応援フライキ10旗で後押ししてきました。
打ち上げはHUB不忍通り店で大宴会。トークショーもあり楽しいイベントでした。スタッフの皆さんお世話になりありがとうございました。
6/16に起こった大阪府吹田市拳銃強奪事件で容疑者に刺されてしまった古瀬巡査は元ラガーマン。(佐賀工業高校ー東海大学)
日本代表も彼に応援メッセージを送って話題になっております。
フライキプロジェクトとしても彼の回復を願い応援フライキを送りたいと思います。全国のラガーマンからメッセージを入れて頂き彼に届けたいと思います。
一日も早い回復を祈願しております。
https://twitter.com/JRFUMedia/status/1140816583935184897
日本藝術大学の「社会人と藝大生が一緒に学ぶ福祉と芸術」履修証明プログラムの一つのカリキュラムで、今回ラグビーの後輩の紹介で参加してきました。
「マッチフラッグ」とは、日本藝術大学美術学部長である日比野克彦氏が講師の実践演習です。サッカーの試合で対戦する双方の国や地域のことを思い描きながら作る応援フラッグの事です。ラグビーでは相手チームでも良いプレーをしたときは称賛の拍手を送りますが、サッカーではあまり聞かない文化です。このプロジェクトはサッカーでは初めての試みではないかと思われます。
6/22に福島のJ-ヴィレッジで行われるU-19、ASEAN+東ティモールvs東北選抜の試合「Japa Fun Cup」でフラッグは振るための活動です。
フライキプロジェクトも東北のラグビーチームを応援する活動です。想いは一緒ということで、フラッグ製作に協力させていただきました。
http://door.geidai.ac.jp/
日本航空の機内誌「SKYWARD4月号」に岩手県釜石市を特集する記事の中に「フライキプロジェクト」が紹介されました。国内線、国際線とも機内の中でご覧になれます。JALご利用の方は是非お手に取ってご覧になってください。
東日本大震災の津波により岩手県の北部と南部が分断された三陸鉄道が8年ぶりに開通されました。
津軽石駅で宮古工業ラグビー部のフライキが振られました。宮古工業ラグビー部の皆さんは昨年8月の鵜住居復興スタジアムオープニングイベントでフライキプロジェクトのフライキの旗手をお願いしたチームです。中野先生をはじめ生徒のみなさんありがとうございました。
震災から明日で震災から8年になります。フライキプロジェクトも同じ歳を重ねてきました。最終目標のワールドカップまであと半年ほど。チームに届けたフライキは100旗ほどですが、繋いだ想いは計り知れません。
しっかり着地できるか不安はありますが、最後まで頑張ります。
時事通信社が記事にしていただきました。
「大漁旗」で東北に力を=贈呈通じてラグビー支援-東日本大震災8年
時事通信社
日本のラグビー史上で伝説化している新日鉄釜石(現釜石シーウェイブス)を応援する風景は、旧国立競技場に舞う色鮮やかな大漁旗が名物だった。岩手県釜石市など沿岸部を襲った東日本大震災から8年。高校や大学、クラブやスクールなど東北で息づくラグビーチームをさらに元気づけようと、元ラガーマンが大漁旗の贈呈を続けている。
活動の主は、一般社団法人「フライキプロジェクト」代表理事の園部浩誉さん(53)だ。2011年8月にスタートさせ、これまで80以上のチームに大漁旗を届けてきた。東北にある全てのチームへの贈呈を目指す。
実業団でプレーしていた園部さんは、大漁旗で選手を鼓舞する光景が印象的だったという。法人のネーミングは、釜石市など三陸で大漁旗がそう呼ばれているフライキ(富来旗)から取った。
震災発生時、当時の勤務で関西在住だった園部さん。かつて仙台市で暮らし、ラグビー仲間も多い東北への思い入れは強く、被災地に何度も足を運んだ。救護活動などでヘリコプターの発着所に代用されていた釜石市のラグビー場を見て、大漁旗が頭に浮かんだ。「練習できないチームも多い。何か応援できないかな、というのがきっかけ」
ラグビーのイベントなどで協力を呼び掛け、集まった寄付金で大漁旗を製作。釜石市に住むデザイナー、三浦正文さん(69)の全面的な協力を得た。三浦さんは「震災後にいろんなところで掲げられていた。頑張るぞっていう印なのかな」。地元の人々にとって大漁旗は特別なものだという。
今年はラグビーのワールドカップ(W杯)イヤー。会場の一つ、釜石鵜住居復興スタジアムを贈呈した大漁旗で埋め尽くす-。それが園部さんの願望だ。「東北のグラウンドで振られていたら元気の象徴になるし、復興できたという証しを世界に発信できる」。三浦さんも「振っているのを見れば、釜石だって分かる。釜石を知ってもらうのが一番」と願う。フライキが大舞台でたなびく日を心待ちにしている。(2019/03/09-13:05)「大漁旗」で東北に力を=贈呈通じてラグビー支援-東日本大震災8年
https://web.smartnews.com/articles/f8aypPnqn9R
新年あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いいたします。
東日本大震災をきっかけにスタートした東北のラグビー復興支援活動も今年の3月で8年になります。東北にあるすべてのラグビーチーム(約250チーム)に応援フライキを贈り2019年ラグビーワールドカップ日本大会の釜石鵜住居復興スタジアムのスタンドをフライキで埋め尽くす事を夢に見て活動を続けて来ました。
そして、いよいよ今年はRWCイヤーとなりました。
昨年8月には完成した鵜住居復興スタジアムのオープニングセレモニーでは、90旗の応援フライキをスタンドやグラウンドで振ることが出来、強く印象付ける事が出来ました。これも賛同ご支援頂きました皆々様のおかげです。ありがとうございました。
おかげさまで沢山のメディアに取り上げられました。その後、間もなくRWC組織委員会より打診があり、本番での応援フライキパフォーマンスもありほぼ内定となりました。
日本代表戦での応援は叶いませんでしたが、釜石・鵜住居復興スタジアムで精一杯振らせて頂きたいと思います。今後ともよろしくお願い申し上げます。