昭和40年生まれの全国ラガーの会「40年会(スネーク団)」があります。毎年7月、全国47都道府県を行脚し、当時の全国大会出場校が幹事校となり予選を戦った対戦校のラガーを集め、更に全国から駆け付けた40年会と交流を深めてゆくという会です。
3年前の鹿児島大会でお手伝いをして頂いた、大分舞鶴高校の1つ下の後輩が2年前から難病にかかり闘っています。彼の高校の先輩がら連絡があり「彼を元気づけたい、フライキを造って欲しい」と。
仲間から賛同を集めフライキを届けました。
ラグビーリパブリックで取り上げていただきました。 添付参照
頑張ってほしいです。
https://rugby-rp.com/2021/06/28/column/67667
新型コロナ、変異株、新規感染者、緊急事態宣言、まん延防止等重点措置・・・
2019年RWCで沸いていたあの頃には全く無かったワード。
ゴールデンウイークは今年も行動自粛。
昨年の今頃は全国に緊急事態宣言が拡がり始め、イベントは殆どが中止。人が集まらない。何も言わないイベントが今年も釜石鵜住居復興スタジアムで行われました。
『無言のメッセージ』
5月のゴールデンウイークの間、今年は端午の節句「鯉のぼり」も「フライキ」と一緒に挙げました。
スタジアムの外から見えるように。
三陸鉄道からも見えるように。
開催期間:5/1~5/9
場 所:釜石鵜住居復興スタジアム
主 催:一般社団法人フライキプロジェクト
協 力:釜石市
2021年3月11日14時46分。さいたま市の自宅近くの橋の上で手を合わし黙祷。
10年前のその日。私は大阪勤務で車で移動中にその時を迎えました。
会社の仲間と会話をしながら名神高速道路を走っていました。揺れには気が付かなかったもののハザードを付けて数台の車が路肩に止まるのを不思議に思いラジオのスイッチをつけると男性アナウンサーが興奮気味に『身の安全と大津波からの非難誘導』を連呼していました。
阪神淡路大震災の時、入社6年目の私は関西圏で被災しているラグビーの仲間たちのために何一つ手を差し伸べることができませんでした。
『ONE FOR ALL』の精神を行使することができませんでした。若さと金銭面をいいわけに。
2日後。大阪から14時間かけて被災地仙台に向かいました。さらに3月末1週間かけて南三陸沿岸の被災地を車で北上。釜石市にある新日鉄釜石(元釜石シーウェイブス)ラグビー部の松倉グランドに着いたのは出発してから4日後の夕方でした。
高橋善幸さんと桜庭義彦さん(いづれも新日鉄釜石全盛期のメンバー)と握手したとき現役時代試合会場の応援席でいつも振られていた大漁旗がぼんやりと脳裏をよぎる。
2か月後大漁旗を意味する「富・来・旗 (フライキ)」を東北すべてのラグビーチームに贈り届ける『フライキプロジェクト』をはじめました。
フライキ製作にかかる費用を全国のラグビーの仲間にお願いして様々なイベントで想いを伝え1,000人近い賛同者や金を集め、たくさんの企業からもご支援をいただき、フライキ製作費に充てました。
東北6県に250チームあるのラグビーチームにひとつひとつ贈り届けました。
(活動の記録を参照ください)
時間が経つにつれて震災の記憶が少しづづ薄れはじめ、関東のメディアでは震災月の3月以外はほとんど報道されることが無くなり、活動を続ける気持ちがだんだん萎えてきたそんな時、2019年の秋アジア圏で初のラグビーワールドカップが日本で開催されることになり、被災地である釜石鵜住居が開催会場に。もう一つの大きな目標ができた瞬間でした。
2019年RWC日本大会の釜石鵜住居復興スタジアムでは100旗のフライキで世界各国のラグビーファンをお迎えし釜石の復興。東北の復興をアピールできました。
東北すべてのラグビーチームにフライキを贈る活動はまだまだ道半ばです。
コロナ禍が明けたら、南三陸釜石を中心に東北のいろいろなイベント。ラグビーゲームを盛り上げながら残りのチームにフライキを届けていきたいと思います。
『ALL FOR ONE』の精神を行使するために。
この場を借りて、フライキプロジェクトの活動にご賛同いただた株式会社小島ラベル印刷に心よりお礼申し上げます。ありがとうございました。
株式会社小島ラベル印刷 https://www.kojima-label.co.jp/